沿革
1965年(昭和40年)4月 | 小島三郎記念会(代表 福見秀雄博士)が発足し事務局を国立予防衛生研究所内に置く。「小島三郎記念文化賞」並びに「小島三郎記念技術賞」を創設 |
---|---|
1965年(昭和40年)12月 | 第1回小島三郎記念文化賞を贈呈 |
1966年(昭和41年)9月 | 第1回小島三郎記念技術賞を贈呈 |
1980年(昭和55年)4月 | 事務局を日本医科大学衛生学教室内に移転 |
1980年(昭和55年)5月 | 小島三郎記念技術賞創設15周年を記念して小島三郎記念特別賞(福見秀雄賞)を創設 |
1983年(昭和58年)5月 | 小島三郎記念特別賞(福見秀雄賞)を「福見秀雄賞」に改称 |
1984年(昭和59年)5月 | 20回目の小島三郎記念文化賞の贈呈を機に「小島・福見記念会」に改称 |
1987年(昭和62年)5月 | 事務局を栄研ビル(東京都文京区)内に移転 |
1990年(平成2年)6月 | 京王プラザホテルにて創立25周年式典開催 |
1993年(平成5年)6月 | 栄研化学株式会社社長黒住忠夫氏の私財寄贈により「財団法人 黒住医学研究振興財団」が設立され、初代理事長に福見秀雄博士が就任 |
1999年(平成11年)12月 | 福見秀雄理事長逝去に伴い、東京医科歯科大学名誉教授中谷林太郎博士が理事長に就任 |
2008年(平成20年)7月 | 事務局を東京都台東区台東4丁目19番9号山口ビル7 栄研化学株式会社内に移転 |
2010年(平成22年)7月 | 公益法人制度改革に伴い、改めて「公益財団法人」として認定される |
2012年(平成24年)10月 | 東京會舘において「小島三郎先生没後50年・財団創立20周年記念式典」を開催 |
2015年(平成27年)5月 | 自治医科大学名誉教授河合忠博士が理事長に就任 |
2017年(平成29年)5月 | 元国立感染研究所所長渡邉治雄博士が理事長に就任 |
我が国は戦後種々の困難を克服して着々と経済が成長し、それに伴って公衆衛生の水準も著しく向上していた。
国立予防衛生研究所所長小島三郎博士は、戦後の赤痢の予防に心を悩まされ、その目的のために赤痢菌検出用の培地を開発・普及させ、これを用いる赤痢サーベイランスからことを始めようと企図された。
当時、日本栄養化学株式会社が製造していた医薬品である利胆剤デヒコールの主原料胆汁酸がSS寒天培地の原料となることから、小島三郎博士は日本栄養化学株式会社にその開発を依頼された。これを受けて国産品として初のSS寒天培地‘栄研’をはじめ各種の培地が開発され、これらが広く全国の衛生研究所、保健所、病院で使用される礎となった。
この過程で小島三郎博士は、栄研化学株式会社(当時 日本栄養化学株式会社)の初代社長 黒住 剛氏との出会いを持つようになった。
黒住 剛氏は以前から我が国の学術文化の向上に関心を持ち、その線に沿って文化活動をする意志を持っていた。小島三郎博士の逝去に遭い、その遺徳を顕彰するため、当時の国立予防衛生研究所所長福見秀雄博士をはじめ博士の門下生、並びに黒住剛氏が相集まり、昭和40年(1965年)4月に「小島三郎記念会」が発足した。
記念会の事業は順天堂大学教授小酒井望博士他の協力を得て「小島三郎記念文化賞」並びに小島三郎記念技術賞を年1回選考し、各々の人々に贈呈されてきた。
小島三郎記念文化賞は主として、病原微生物学、感染症及び公衆衛生学おいて学問的に顕著な業績を挙げ、且つ我が国の文化に貢献したと思われる研究者に対し贈呈された。
また、小島三郎記念技術賞は臨床並びに衛生検査領域において優れた検査方法、術式の考案改良を行い、検査技術の普及発展に功績のあった検査技術者に贈呈された。
更に、昭和55年(1980年)5月、記念会は小島三郎記念技術賞の創設15周年を記念して新たに小島三郎記念技術特別賞(後の福見秀雄賞)を創設し、臨床検査・衛生検査領域の業績に半生を捧げ、技術開発向上に努力し、且つ後進の指導育成に貢献のあった検査技術者に贈呈することとした。
なお、同年4月小島三郎記念会事務局は国立予防衛生研究所より日本医科大学衛生学教室内に移転し、更に昭和59年(1984年)「小島三郎記念会」は20回目の小島三郎記念文化賞の贈呈を機に「小島・福見記念会」と改称した。
昭和62年(1987年)5月、記念会は事務局を日本医科大学より、栄研ビル内に移転した。
平成2年(1990年)6月「小島・福見記念会」は創立25周年を迎えた。これを記念して京王プラザホテルにおいて小島三郎記念文化賞、同技術賞、福見秀雄賞を受賞した全国の方々の出席のもとに、記念式典と祝賀会を開催した。
黒住 剛氏の逝去に伴い「小島・福見記念会」はその社会的基盤の確立のため、記念会会員慶應義塾大学名誉教授佐々木正五博士を中心に法人化の構想が検討され、平成5年(1993年)6月、後継者である栄研化学株式会社 社長 黒住忠夫氏の私財寄贈を基本財産として、従来の顕彰事業に新たに研究助成事業を加え「財団法人 黒住医学研究振興財団」の設立を図り、初代理事長として福見秀雄博士を擁立し、厚生省に申請、許可された。
平成11年(1999年)福見秀雄理事長の逝去に伴い、東京医科歯科大学名誉教授中谷林太郎博士が理事長に就任した。
平成20年(2008年)7月、栄研化学株式会社本社移転に伴い、事務局を東京都台東区の栄研化学株式会社本社内に移転し、平成22年(2010年)7月、公益法人制度改革に伴い改めて「公益財団法人」として認定を受け、新たなスタートを切った。
平成24年(2012年)10月「小島三郎先生没後50年・財団創立20周年」を記念して東京會舘において小島三郎記念文化賞、同技術賞、福見秀雄賞を受賞された全国の方々の出席のもとに、記念式典と祝賀会を開催した。
平成27年(2015年)に自治医科大学名誉教授河合忠博士が理事長に就任した。
平成29年(2017年)5月に元国立感染研究所所長渡邉治雄博士が理事長に就任し、河合忠博士は相談役となり、現在に至っている。